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こどもについて感じること・考えること、思うこと。
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「がんばれ」というのはなかなか特殊なことばである。だって、日常生活で命令形を使うことはとてもまれだ。怒りに我を忘れているとき以外は上品な私は(?)、家族や友人を含む他人に「行け」「~しろ」などと言うことはないし、家族も言わない(親しみをこめて、笑顔で言われるのでなければ、確実にケンカを売られていると受け取るだろう)。同じ理由で、小さな子ども相手にも、私は「がんばれ」と言うことに躊躇を覚える。命令形だよ? すごく、上から目線で、子ども相手にしても失礼だと思う。お父さんが怒り眉で「ほら、がんばれ!」と言っているのを見たりすると、あーやだなー、と思う。

子どもが何かをできるようになるとき、基本的に子どもは実は一人でできるようになる。でも、そばにいる大人はなぜか自分が何かせねばできないような気になったりする。それで、手助けしちゃったり、怒鳴ったり叩いたりしてやらせようとしたり、やり方を説明したり、励ましたりする。手助けしたら自分でやったことにならないからダメ。怒鳴ったり叩いたりは絶対ダメ。恐怖で従わせるのはとても即効性がある場合もあるけれど、長い眼で見たら有害でしかないから。説明したり、見本を見せたりといった具体的な提示は、唯一役に立つというくらい大事なこと。で、最後の励ますっていうのは、効果はさほどじゃないけど、ただ見守るしかできない状況では、無難な選択肢だ。だからたくさんの人がやる。というか、やってしまう。でも、それに使うのが「がんばれ」なわけで……

でも、じゃあ「がんばれ!」じゃなくて「がんばって」にしようとすると、それは全く「がんばれ!」の勢いがなくなってしまって、無意味なことばになってしまう。「がんばって」のほうが丁寧だけれど、こちらはあくまでがんばるもがんばらないもあなたしだいよ、という距離感を感じる。「がんばれ!」の価値は、その「!」語気を含めて初めて生じるものだ。そこをつきつめると、表現されているのは、ことばそのものの意味でなくて、そのことばを表象として表出される話者の「感情表出」のほうなのかもしれない。がんばれと言った時に、「思わず言ってしまった」という感覚を伴う場合があることも、その発言が意味内容の伝達ではなくて、感情の吐露である、ということを示している。

(つづく)
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